友らよ、いつかあるとき、長い時間が経過したあと、この世界が破壊する時期があります。世界が破壊するとき、生けるものたちはほとんど、光音天に 転生します。かれらは、そこでは、意から成り、喜びを食べ物とし、自ら輝き、 空中を行き、清浄の中にあって、久しく長い間、とどまります。
友らよ。いつかあるとき、長い時間が経過したあと、この世界が創造される時期があります。世界が創造されるとき、空の梵天宮殿が現われます。
すると、ある生けるものが、寿命が尽きるか功徳が尽きるかして、光音天の身から死没し、空の梵天宮殿に生まれかわります。かれは、そこでは、意から成り、 喜びを食べ物とし、自ら輝き、空中を行き、清浄の中にあって、久しく長い間、 とどまります。かれは、そこで、ただひとり長い夜を過ごしたため、不満と動揺 が生じます。(ああ、どうか、他の生けるものたちも、ここに来てほしい、)と。
すると、他の生けるものたちも、寿命が尽きるか功徳が尽きるかして、光音天 の身から死没し、その生けるものの眷属として、梵天宮殿に生まれかわります。 かれらも、そこでは、意から成り、喜びを食べ物とし、自ら輝き、空中を行き、 清浄の中にあって、久しく長い間、とどまります。
友らよ、そこで、最初に生まれかわったその生けるものには、このような思いが生じます。(私は荒天である。大地天である。征服者であり、征服されぬ 者であり、すべてを見わたす者であり、支配者であり、自在者であり、作者であり、創造主であり、最上者であり、造物主であり、全能者であり、存在するもの ・存在すべきものの父である。この生けるものたちは、私によって創造されてい る。それはなぜか。私にはかつて「ああ、どうか、他の生けるものたちも、ここ に来てほしい」との思いがあった。このように私には心の誓願があり、そこでこの生けるものたちがここへ来ているからである。と。
また、あとから生まれかわったその生けるものたちにも、このような思いが生じます。この尊いお方こそ梵天である。大梵天である。征服者であり、征服されぬ者であり、すべてを見わたす者であり、支配者であり、自在者であり、作者であり、制造主であり、最上者であり、造物主であり、全能者であり、存在するもの・存在すべきものの父である。われわれは、この尊いお方、梵天によって創造されている。それはなぜか。われわれは、ここで、最初に生まれかわったこの行方を見、われわれはそのあとで生まれかわっているからである。と。
友らよ、そこで、最初に生まれかわったその生けるものは、より長命であり、より輝きがあり、より力に勝れていますが、あとから生まれかわったその生けるものたちは、より短命であり、より輝きに劣り、より力に劣ります。
しかも、友らよ、この道理が存在します。すなわち、ある生けるものはその身から死没して、ここにやって来ます。ここへやって来ると、家を捨てて出家します。家を捨てて出家すると、熱心によって、努力によって、動勉によって、専心によって、熟慮によって、心が安定したとき、その過去の生存を思い出してもそれ以上は思い出すことのないような、そのような心の統一を得ます。
かれはこのように言います。「あのお方こそ導い梵天である。大荒天である。 征服者であり、征服されぬ者であり、すべてを見わたす者であり、支配者であり、 自在者であり、作者であり、創造主であり、最上者であり、造物主であり、全能者であり、存在するもの・存在すべきものの父である。われわれを創造されたその尊いお方、梵天は、常であり、常恒であり、常性であり、変化する性質がなく、 永遠に、そのままとどまるであろう。しかし、その尊い梵天によって創造されたこのわれわれは、常でなく、常恒でなく、短命で、死すべき性質のものとして、 ここに来ている」と。
あなたがた尊者は、このように整え、起源と知られるものを自在者の所作、梵天の所作として、師の教えを告げているのです」と。 かれらはつぎのように言います。 『友、ゴータマよ、われわれはそのように聞いております。ゴータマ尊者が言っておられるとおりです』と。
バッガヴァよ、私は起源と知られるものを知っています。また、それを知り、それ以上のことをも知っています。また、それを知っていますが、執取しません。 また、執取しない私には、自ら、寂滅が知られています。それを証知している如来は、禍を受けることがありません。